大人の役割

 今日は、僕の母校に関わる話をしたい。
 1996年8月、大阪府高槻市でサッカー大会の試合中に落雷を受け、失明や両手足のまひなどの重度障害を負った、当時土佐高校1年、北村光寿さん(現在25歳)と家族が「生徒の安全を守る義務を怠った」として、土佐高校高槻市体育協会に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が、先日、最高裁で言い渡された。
http://www.asahi.com/national/update/0313/TKY200603130105.html?ref=rss
 概略は、上記の記事にあるが、僕の実家から送られてきた高知新聞(2006年3月14日27面の社会部 大山哲也氏の署名記事)によると、北村さんとご家族が「提訴したのは事故から三年後の春。土佐高校から除籍通知を受けたことがきっかけだった」とあることから、ひょっとすると土佐校側は、つれない態度をとっていたのかもしれない。土佐校は、割と大らかな校風であり、放任主義的でもあり、「俺は俺で、やっとりますから」的な生徒にとって、居心地が悪くはない。が、いじめ(も無いわけではない)や不登校などの問題に、キメ細かいフォローが教師側からあるか?と、聴かれると、首をかしげざるを得ない。もっとも、僕自身がそう考えるようになったのも、卒業してから後、冷静に振り返ってからこそ気づいた問題も多かった(そりゃ、自分が中学生、高校生の時は、自分をこなしていくだけでも、それなりにいっぱいいっぱいです)。
 現実問題として、雷の予見は難しいかもしれないし、試合ならまだしも、日々の練習でも責任の所在をはっきりさせていくことが難しいときもあろう。とは言え、裁判における責任のなすりつけあいをみるに、「子どもを護ることは、大人の役割」って大前提を、絶えず意識してほしい。
 北村さんや、ご家族にかける言葉が簡単には見つからないのですが、これを機会に、指導者のよりいっそうの自覚をうながすことになれば、と願ってやみません。

 さて、話は変わりますが、いま学校なんかで、雷の危険性をどう教えているのだろう?僕らが子どもの時は、金属を身につけていると危ない、とか言われたものだが、実際は、だだっ広いなかでの高い所が、単純に危なかったりする。だから、グラウンドで立っているだけでも十分に危ないし、僕の生まれ故郷の隣の隣町の、高知県安芸郡東洋町の生見海岸での事故(1987年8月5日、海上に落雷。6名が死亡。1名が重体、5名が重傷を負う。同日は雷雨注意報が出ていたが約40名がサーフィンをしていた)なんかが起こるのだが。