ぐるぐる回る僕の思考

映画『図書館戦争』が面白い。


わが故郷、高知出身の有川浩さんの原作で、日本の。。。パラレルワールド的近未来において、メディアへの検閲が強化され、その検閲を行う勢力は武装化まで至り、あげくの果てにはその協力関係と思われる団体が図書館を襲撃して多くの血を流し、それに対して図書館側も武装化に至り、協定によって時間制限つきながらも実弾で戦闘を行い。。。というトンデモ設定なわけだが、これが。。。シャレにならない。


文庫版のあとがきから、有川さんのコメントを引用してみる。


「この物語は『こんな世の中あり得ねえだろ』と笑っていただいてなんぼの本です。この設定を笑い飛ばせる世の中でこそ、気楽に読んでいただける本です。ところが、うっかり気を抜いていると怖い法案や条例が通過しそうになったり、なかなかに油断がならない世の中になりつつあるようです」(『図書館戦争』文庫版p.370 有川浩・著、角川書店


そんな時代の憲法記念日、各政党から出されている見解があらためて報道された。
僕自身は「暫定的護憲派」と言える立場かな、と。


僕は、民主共和制を是とし、立憲君主制はそれに至るステップと思っているので、現行憲法とは矛盾するので護憲派とは言えない。しかし、いま憲法をさわるとすると、反対方向に突き進みかねないので、だったらいまのままで置いておこう、という考えだ。


与えられたものだろうと、なんだろうと、日本国憲法はよくできていると思う。100%には遠く及ばないが、僕も含めて多くの人は、それなりに自由を享受しながら生活できている。その上で、何かを変えようとするのなら、その中身こそが問題であり、それを議論するには判断材料たる情報が開示され、それを比較検討するスキルを国会議員のみならず、彼らに投票する側ももつ必要がある。この点が不十分である現在、先行して憲法を変える基準自体を緩めることは本末転倒でしょう。


変な話になるが、改憲派への牽制として効いているのは、ひょっとすると天皇陛下なのでは?と思うときがある。これは『銀河英雄伝説』においてイゼルローン共和政府の面々が、「俺たちにとっては、皇帝のラインハルトが生きていてくれる方が得じゃない?」と言っているくらい、情けない話ではある。


さて、憲法を変えたがっている勢力は、日本国憲法が「アメリカから与えられたもの」として不平をのべるが、その勢力は日々、アメリカに尻尾う振りながら政策を実行しているから、うさん臭いの。改憲派が、在日米軍を追い出して、経済的にも政治的にもアメリカべったりから脱却して。。。という動きを見せるのなら、もう少し説得力はあると思うけれど。


だが、改憲派は熱心だ。

気がつけば、「いつのまに。。。」という時が、もうすぐ訪れるかもしれない。

それは、多くの人が無関心だから。。。と、荒っぽくは片付けたくはない。


無関心と政治の関係について、「戦争と平和」を切り口に考えてみたい。


『戦争か?平和か?』の問いならば、多くの人は『平和』を選ぶだろう。
では、なぜ戦争に突入していくのか?

それは、日常において、戦争と比較されているものが平和ではないからだ。
戦争には条件があり、きっかけがあり、原因がある。
その原因が積み重なっていくプロセスは、見かけ上は平和な時に進行していく。
人は、食わなきゃいけないし、働かなきゃ行けないし、遊びもすれば恋もする。


具体的には選挙において外交は、経済問題や日頃のしがらみに比べて、優先順位としてはかなり下になる。誰もが平和を願っていないわけではないが、「平和について考える」こと、ましてや「平和を念頭のおいて行動する」ことは、後回しになるわけでしょ、その時が平和なんだから。


して、誰もが『戦争か?平和か?』そんなわかりやすい二者択一で迫られているときは、もはや後戻りできないところまで来ているのだ。


冒頭に引用した『図書館戦争』の中で、たしか教官役の堂上から「俺たちは「正義の味方』じゃない」という台詞があった。それに関して、メディア検閲には共に反対する立場でありながら、アプローチが根本的に異なる両者の議論が面白かった。



(手塚慧)「だからといってメディア良化委員会ち敵対する図書隊が正義になれる訳ではないよ。それは分かっているかい?」
(柴崎)「もちろんです。だって図書隊は、検閲と戦うためと称して武器を持ちましたから」
(略)
(柴崎)「自分が主導したわけではないにしろ、検閲と戦うために人を傷つけ殺害する手段を選択した図書隊は、その選択をした時点で決して正義の味方にはなれません。けれどももう武器を捨てることはできない。武器を捨てたら自分たちは殲滅されるから」
(柴崎)「どっちも正義じゃないのに正義の味方に見えるボールを取り合いしているーそんな下らない光景に見えるでしょうね、カミサマには。良化委員にも図書隊も、最初から『間違っている』組織にしかなれなかった。それはメディア良化法が通過したときから決まっていたことです。ゲーム盤が、もともと歪んでいたから、正しい駒なんか存在できるわけがない」(『図書館危機』(図書館戦争シリーズ④)文庫版 pp.77-78、有川浩・著作 )



私たちは「盤が歪む」前に考える必要がある。


ギリギリでの『戦争か?平和か?』の問いの前には、平時における『豊かな生活か?そのために平和への道を閉ざしていないか?』という不断の問いかけが、存在しているのだ。


でも、忙しさと、楽しさにあふれた日常生活の中で、私たちは。。。無関心で忘れないまでも、とりあえずは後回しにしてしまっている。。。むろん、焦って先走りしすぎることも逆効果なのだけれど。。。