”wish” by 久川 綾

昨夜、AM神戸の『青春ラジメニア』にて、僕のかねてからのリクエストが採用され、久川 綾さんの『wish』が電波に乗りました。
 ラジオって不思議ですよね。僕のサイト名の由来にもなるほどのお気に入りの曲だから、何度も聴いたことがあるはずなのに、いつも以上にジ〜ンときました。
 この詩は、綾さんご自身によるものですが、「夢と現実」「理想と矛盾」が対立するこの世界で、「今の自分にできることを」模索していくという内容の短い歌ですが、アルバム『wish』のタイトル・チューンとして収録されています。そのアルバムは、この曲でしめくくられるのですが、最後のフレーズ、「wish...今の自分に wish...できることを」が、リスナーの心に、そっと置かれるように静かに終わり、その美しい旋律と、優しげなボーカルにとあいまって、決して押し付けがましくはなっていません。
 それどころか、「できることを」で終わっているが故に、「できることを」「していきたい」のか、「してほしい」なのか、選択権がリスナーに委ねられているところも興味深い。
 ライブでは、かつての湾岸戦争がベースとなって綾さんが作詞した1stアルバムのタイトル・チューン、『時代を紡いで』に挿入される形で披露されました。その時は、本来の歌詞にはない「武器」、「薬」ということばが使われ、「防衛のために武力は必要とされるが、やはり人を殺してしまうという現実」や、「人間が長生きするために薬はかかせないが、その薬の開発には動物を犠牲にする実験が不可欠であるという現実」が提示され、「いまの自分にできることを」の「自分」が「わたし」と歌われ、明確なメッセージとなってパフォーマンスされました。
 抱えていくしかないんですよね。「動物がかわいそうなら薬を飲むな」とか、「人間は霊長たる存在だから」とか、そんな理由でむりやり白黒をつけずに、というか、白黒簡単につけられるような問題でもないし、だからと言って、そんな現実に蓋をするのではなく、背負いながら生きてるんですよね、いろんなものを。
 一連の「拉致」事件に、僕はうちのめされましたね。あの国はいまも、準戦時体制なんですよね。そんな国家間の犠牲になる方々がいて、その上で僕らは生きているんだと。


旧日記『つらづら草』より転載