短気集中連載『ラジオと僕』その一

 もはや、スポーツねたオンリーと化しているこの場を使って、あらたなる企画をはじめます。お題は、僕にもっとも影響をあたえてきたメディアのラジオとの出会い〜それにまつわる思い出です。
 最近、自宅にネット環境を整備したこともあり、あらためて(チャット等ですが)旧友と語る機会があるのですが、案外、1対1の「さし」の会話って、したことなかったりするんですよね、みんなでガヤガヤってことが多かったから。だから、これから語るエピソード、はじめて知ることになる方が多いかも...
 僕が子どもの頃は、今みたいに子ども部屋にテレビがあるはずもなく、「パーソナル」なメディアとしては、ラジオ以外に考えられなかった。本来は、母のものである、小さな黒いトランジスタラジオを枕元においては、赤く光るLEDに見守られるように、ラジオに耳を澄ませていた。家族で共有するテレビとちがい、ラジオは、僕だけのものだった。大袈裟に言えば、近所や校区にとどまらない、本当の意味での「外」の世界を意識したのは、この頃だったかもしれない。
 僕は小学校5年生を終了したとき、高知県東部の田舎から、高知市内へ引っ越すことになるのですが、そのときから、とくに、ラジオをよく聴くようになりました。ふすま一枚隔てただけとは言え、兄とは別の個室をもったことが大きかったかな?よく聴いたのは、さだまさしさんの『セイ・ヤング』とか、松山千春さんの番組とか。あの頃は、ニューミュージック(死語?)が好きで、そんなアーティストの「しゃべくり系」が、面白くってたまらなかった。とくに、さださんの番組は深夜だったから、中学校に入ったときには『鶴光のオールナイトニッポン』とかの深夜番組を聴くきっかけにもなりました。鶴光さんの番組は、ぶっちゃけた話、きわどい「エ○話」も多く、翌日は休日の土曜深夜ということもあり、クラスの野郎どもはよく聴いてましたね...ただ、中2のときに、その番組は終わったので、それと同時にしもネタ系の番組とは縁がなくなってしまいました。
 その頃です、ラジオを通じて、音楽と本格的に出会うのは...

旧日記「つらづら草」より転載