見守るつもりが見守られ

元来、めんどうくさがりやの僕は、日記を書く習慣が無かった。そのかわりと言っては何だが、ときどきラジオ番組に投稿してたりする。
 僕がはじめてラジオ番組に投稿したのは、小学校6年生のころ、地元ローカルのリクエスト番組で、いきなり採用されて、アナウンサーの方に読まれたときは、嬉しさよりも恥ずかしさで、耳まで赤くなったものだ。あれ以来、どれだけ多くのパーソナリティーのみなさんに、お葉書を送ってきたのだろう。
 いま、とくにお世話になっているパーソナリティーの方は、もともとはアーティストであり、その方の歌に惹かれてリスナーとなった。だから、僕はファンとして、その方を見守っているつもりなのだが、今夜の放送で、実は「見守られていたのは僕の方だ」と感じた。やはり、プロフェッショナルなアーティストの感性は、ただものではない。若干の、僕の文章の揺らぎに反応してくるわけであり、限られたオンエアの時間の中で、その文章を読む時間が無くとも、さらりと投稿者(この場合は僕)のみにわかるメッセージを送ったりする。
 そんな細やかな気遣いができるからこそ、すてきな詩が書けるんだなあ、と実感するとともに、我が身を省みては、いろいろと考える今日この頃です。

旧日記「つらづら草」より転載