誰がための...

 参議院選挙において、自民党が大敗を喫し、公明党が減衰、民主党の勝利となった。テレビを中心とするメディアでは、複数のテレビ局で、複数のコメンテーターが「憲法問題など国家の根本を問うべき選挙において、有権者は年金の処理や、赤城農相の問題など、枝葉にこだわった判断をくだした」との「上から目線」の意見を披露していた。
 たとえば憲法問題において、自民党民主党のボーダーラインは曖昧だ。せめて最低投票率規定をもりこんでほしかったが、そもそもは、憲法とは国家における最大の権力、すなわち「国家権力」自体を制限するために存在するべきであるはずなのに、それを変えていく方向に安易に突っ走る姿には同じ匂いを感じる。
 確かに、時代は変わる。社会は変わる。しかし、「生まれて、泣いて、怒って、愛して、笑って、死にゆく」人の営み自体がそんなに変わってしまうものか?
 一方、政治の基本は「民を飢えさせない」ことだ。年金問題や、その他の国家レベルの無駄遣いが、自らの政治団体の資金をクリーンにできない政治家に、何とかできるとは思えないのだが。
 そういう、いろんな意味で、自民党が大敗したとしても、僕のほろ苦さが消えることはない。もちろん、自民党が勝ってしまうよりはるかにましだけど。
 それにしても、安倍政権は酷い。やっていること自体はもちろん酷いが、人材の薄さがどうしようもない。赤城農相を「辞任」っぽく装った「更迭」としたが、あれじゃ舛添要一の言う通り、「トカゲの尻尾切り」だ。いまどきの「イメージ戦略」に長けた、あるいは「良識」をわきまえたスタッフがいるのなら、なんとかしていただろうに。もちろん、安倍晋三聞く耳をもっていれば、の話だが。