『紅の豚』

 公開時、「結局ポルコは、ジーナとフィオ、どっちを選んだかはっきりしないのはどうなの?それがはっきりしないからつまらなう」とかいう批判が本当にあった。なんかこう...無粋だよなぁ、そんなん、とか思ってた。僕なりの映画を楽しむ観点を自覚したのがこの作品だった、と今では思う。もちろん、作品自体が「完結」して、何かを訴えかけてくるのも良し。明確な「結末」がなくとも、その「プロセス」を楽しませてくれるのもまた良し。だって、人生の、ある「一こま」を切り取ったとしても、それはそれで、そこはそこで、きっとエキサイングだと思うよ。

 さて、豚に逃避できない僕としては、憲法9条や、日米安保条約集団的自衛権などの問題に触れてみたい。ただ、まだ、すっきりとした表現にはまとまり切れていないので、以下にざっくばらんに示す。

 アメリカにとって日本は都合のよい市場であり、アメリカは日本を影響下に置き続けたい。そんなことは、(最近、多くの方が仮想敵国と考える)中国にせよロシアにせよ、わかっているわけであり、日本のうしろにアメリカを感じては日本に直接手は出さない、日米安保条約があろうと無かろうと、ね。
 では、中国やロシアは、アメリカと本気でやりあう気になった時は、日本にどう対処するのか…?と考えるのもばかばかしい。
 アメリカもロシアも中国も、ほどほどの緊張感を演出して、仮想敵国を作っては国内を締め付けたり、他国に武器を売ったり…そんなパワーゲームをやっているように思えるんだけどね。たとえば、ブッシュにとってアメリカ庶民は道具だろうし、プーチンにとってロシア庶民は道具だろうし。庶民にとっての「敵」は、海の向こうではなく近くにいるのになぁ…と思うんだけどね。
 あと、いまほど「軍隊」そのものが問われている時代はないんじゃないかな?だって、アフガンやイラクの一件で、軍隊でものごとが片付く時代ではなくなった…ということがはっきりわかってきたよね?また、いとも簡単に、でっちあげの理由で戦争が始められる(こともある)ことが、はっきりわかったよね?
 僕は子どものころ、「何かを護る」ということが「かっこいい」と思い、単純に考えては将来の就職先に、自衛隊を考えたこともある。でもね、少し勉強すればすぐに突き当たるんですよ、ほんとうに大切なものは、軍事力で護れるのか?とね。
 僕のように、非武装中立を考える人間は、非現実的と言われる。でもね、軍隊があるから安心、軍隊で何かを護れる、と本気で思っている方「も」、非現実的ですよ。

 これらの件に関しては、今後、自分なりに整理し続けて、何度も触れていきたいと思っております。