すりかえ

 僕は貧乏性で、誰が作ったものだろうが、おいしいものはおいしい、と感じる性質なので、さほど気にはならないが、世の中にはすごく気にする...否、「誰が作ったか」あるいは「誰が押しつけたか」ということに、「自分たちが気に食わないから」という理由をごまかす方便として論旨をすりかえる連中がいる。
 そんな連中に、カウンターパンチを食らわすのに手頃な新書が出版されている(ってか、すいません不勉強でしりませんでしたが、憲法記念日がらみでいろいろ調べてるうちにWEB上で見かけて、昨日のサッカーの練習の前に慌てて紀伊国屋書店にかけこんでゲットしました)ので紹介させていただきたい。あ、詳しくはいずれ*1、ということで、まずは...
憲法「押しつけ」論の幻』、小西豊治、講談社現代新書1850、2006年、本体価格700円。
論旨としては、
「これまで日本国憲法を「押しつけた」とされているアメリカは、憲法でもっとも重要と言うべき「主権の宣言規定」という問題を見過ごしていた。しかし、日本が明治期に育んできたデモクラシーの思想と伝統が、その大きな盲点を憲法起草者たちに気づかせ、「国民主権」の規定が憲法に高らかに掲げられることになったのだ。つまり日本国憲法の核心をなす「国民主権の宣言規定」と「象徴天皇」は、マッカーサー草案をさかのぼって、憲法研究会に起源をもっているのである。日本国憲法の核心部分は、憲法研究会が生み出した日本側のオリジナルな思想である。」(p.18)
として、鈴木安蔵と、総司令部のマイロ・E・ラウエル陸軍中佐を軸として検証が進む。
鍵となるのは、もちろん!植木枝盛起草の『日本国国憲案』である。
この背景を僕が最初に知ったのは、創刊間もないころの『AERA』だった。それから10年以上もたったのだが、「奴ら」にいまだに『憲法「押しつけ」論』を吹聴されるのは、かなり心苦しい。たしかに植木枝盛の最期は、「おいおいおい」と突っ込みを入れたくなりもするが、だからと言って、植木の業績がかすむことは無かろうし、植木(たち)の想いが現・日本国憲法に息づいていることは間違いない。
 高知市にある『自由民権記念館』がオープン当初、最初に大々的にフィーチャーしたのが、板垣退助ではなく、植木枝盛その人であった。このことからも、当時の記念館のスタッフの慧眼がわかるというものだ。たしかに板垣は自由民権運動の「顔」ではあったが、どちらかと言えば「薩長」に対抗すべく動いたところもあり、あげくの果てには「板垣生きて、自由が死んだ」と言われるような行動に出てしまう。そんな板垣の演説の原稿の多くを書いていたと言われるのが、ブレーン役を担った植木枝盛である。家永三郎らの研究もあったが、いまひとつ語られることのないこの植木。植木を切り口として日本国憲法を読み解けば、「誰が」とか「押しつけた」とか、そういう問題ではなく、そもそも憲法は「誰のために」「何のために」あるのか、というところで語られるべきということがわかるはずなのだが。

*1:いくつかのポイントを引用する予定