國府田マリ子と石原慎太郎 其の一

 4月19日(OBC)にて放送された、『國府田マリ子のGM』において、國府田は微妙な言い回しであったが、石原慎太郎都知事を支持しているという主旨の発言を行った。
 僕は國府田の歌と人柄に惹かれるものはあるが、彼女の政治的識見などに関してはさほどの知識をもちあわせていなかった。しかし、彼女が比較的保守的で体制よりなスタンスをとることが多いと感じていたために、「ふ〜ん、石原を支持しているとしても、あり得なくはないな、ちょっと意外(この点に関しては後述)だけど」程度にしかとらえていなかった。
 だが、あらためて考えてみると、看過できぬものを感じたので、彼女のオフィシャルWEBサイトにメールを送るとともに、『GM』に葉書を出した。その質問のポイントは二つ。
一、「あなたはなぜ、石原慎太郎を支持するのか?」
二、「あなたが、オンエアで石原慎太郎の支持を表明することは、(あなたが意図しないにせよ、結果として)リスナーに石原の支持を呼び掛けていることになるのだが、その点に関して何か思うところはおありですか?」
 しかし、いま(5/7)に至るまで、何ら具体的なコメントを得ることはできなかった。
その「無視」という行動を受けて、僕は僕なりに、自らの見解をこのWEBの世界で述べることにする。
 まず、(一)に関してであるが、本来、國府田が誰を支持しようと、彼女がプライベートで考え行動するかぎり、それは彼女の自由(むろん、それに疑問を感じたなら質問する自由が僕にある、という自由であるはず)である。國府田は時折、『GM』でポリティカルなコメントを発するのであるが、それはたいてい、「戦争と平和」についてか、あるいは「環境問題」に関してである。
 その点から石原は、前者においては「三国人発言」にみられるように、世界を縦にみる傾向が強く、それを背景として生まれるのは、支配/被支配の構造であり、そこから恒久的な平和を築けるとは思えない。後者においては運輸大臣時代に、珊瑚礁をつぶしてまでも石垣島に新空港をつくるという計画を押し進めた彼が、環境問題に積極的な政治家だとは到底思えないのである。
 それらの矛盾を國府田がどう思っているのか、あるいは、それ以外の争点を根拠として都知事選において石原を支持さいたのか、オンエアで表明された以上、知りたくはある。


旧日記『つらづら草』より転載