短期集中連載『ラジオと僕』 その五  久川綾 編 その二

 久川綾さんとはじめて会ったのは、もう6,7年前になるのかなあ、その頃はいわゆる声優ブームとかいうので(だからっていうだけでもないが)、京都でサイン会があったのです。で、そのころ、僕は職に就いて、ちょっと落ち着いた時だったので、自分としてのイベントが欲しいなあ、と思っていたときでした。それまでもライブはロック中心に行っていたのですが、イベントちっくなものははじめてだったのです。
 会場に現れた綾さんのイメージは、春風をまとった、たおやかな「草」というイメージでした。「草」というのも妙な表現かもしれませんが、「花」よりは、もっと「強い」というか、「自然」な感じというか...
 で、その時はじめて知ったのですが、サイン会って、列に並んで待っているときに紙片なりをわたされて、先に自分の名前を書くのです。で、それを見ながら、ご本人に書いていただくのです。やがて、僕の番がきたのですが、綾さんが僕の名前をみるなり、「わぁ〜、○○君だぁ〜!」って。このシリーズで書き続けたように、僕はラジオ宛に葉書を書くことが趣味とも言えるのですが、綾さんの番組へはたまに送る程度だったのです。それなのによく憶えていてくれてるなあと思って聞いてみれば、僕の本名の漢字が、少し難しいものなので、それでインパクトがあったそうなのです。
 実は、売れっ子のタレントさんの番組では、ハガキはスタッフが選んであげてると思ったこともあるのですが、少なくとも綾さんは、全部目を通してくれているんだな、ということが、短い時間の中のやりとりで実感することができました。
 その頃は、初冬だったということもあり、その場でプレゼントをさせていただきました。モノは、佐野元春さんの『クリスマス・タイム・イン・ブルー』のマキシシングルです。それ以降、僕から綾さんにプレゼントする時には、CDを送ることが恒例となっているのですが、おそれ多くもいただく綾さんからのお礼状には「〜をありがとうございます。参考にさせていただきます」と書かれていることが多くありました。
 実は、あとでわかったのですが、綾さんって、あれだけステキなポップソングを書けて、歌っているにもかかわらず、日常において音楽を聞くことはほとんど無い方だったのです。むしろ、(自宅で家庭菜園をつくるくらい)自然が好きな方なので、風の音に音楽を感じるような、そんな方なのでした。
 とは言え、僕は僕なりに遊び心もあるわけで、「だったら綾さんが『オオッ!』と思える音楽を見つけちゃろう」となるわけで...
 そんな中、一昨年にリリースされたビートルズのベストアルバムを贈ったことがありました。その頃、綾さんはライブはもちろん、音楽活動をしていない時期だったのですが、久しぶりのイベントで、そのビートルズの『ヘイ・ジュード』を歌ってくださったのです。そのイベント直前のFCの会報で、「あるファンの方からビートルズのCDをいただいた」ことや、スタッフとの会話の中で、「英語で歌ったみようか」との話題があったのですが、まさか、ほんとうに『ヘイ・ジュード』を歌ってくれるとは、と、嬉しくも思ったし、いままでいろんな方のCDを贈らせていただいたけど、少しはお役にたてたのかな、と思えたし...(なお、僕の音楽の趣味は、綾さんのご主人と似ているらしい(苦笑))
 綾さんは、10代のころは、学業、クラブ活動(卓球部)に忙しく、なおかつ「声優」という目標にむかって通信教育を受けたりと、音楽を聞く暇はなかったようですね。声優として歌う時も、綾さんにとって本分は「役者」であり、「歌」は二義的なものだった(それであれだけ歌えるのだから、恐れいる。なお、昔っから小説(渡辺淳一など)はお好きだったようだから、作詞のセンスの良さは、それに由来していたのかも)のです。でも、最近は「歌」に対する欲求が強くなってきたようで、『ヘイ・ジュード』を(当然、英語で)歌うことは、その延長線上の挑戦だったようです。
 そのイベントの「締め」は、綾さんがファンの1人ずつにプレゼントを渡す、というものだったのですが、綾さんの渡し方が...手渡すときに、両手でしっかりと相手の手を握りしめるんですよね。こっちが気恥ずかしくなるくらい、しっかとね。なんか、手を握られているだけなのに、全身を抱きしめられているくらいのぬくもりを感じました。ホント、どこまでも懐が深く、愛情が豊かな方です。

旧日記『つらづら草』より転載