自由民権記念館について その1

そもそも、管理人たるWISHの日記のボードではありますが、この場を借りて、いますこし、このHPのコンテンツに関する補足説明をしばらく続けていきたいと思います。
 まず、自由民権記念館についてですが、表向きの設立理由やら何やらは、リンク先に飛んでいただくとして、WISHだから知り得る観点(直接、現場のスタッフたちからお聴きしたものです。残念ながら、その皆さんは、もう、記念館にはいません)から、少し、語ってみたいと思います。
 自由民権運動の看板たる板垣退助や、実のところ、板垣の演説の原稿のほとんどを書き上げたといわれるブレーン、植木枝盛らを輩した土佐の地には、当然のことながら、関連する史料の宝庫でもあります。で、善意のもと、その多くが高知市に寄贈されていたのですが、その史料がたまる一方、市は保存することを、もてあましもしていました。
 で、高知市制100周年記念の一貫として、記念館を設立することになるのですが、その中身たるや、魂を入れ忘れた仏像のごとく、その運動を紹介するにはおそまつ、というか、わかりにくい展示状況でした。
 さもありなんとでも言いましょうか、反体制運動でもあった自由民権運動を、権力者の立場の高知市が、世に知らしめるつもりもなく、何と、現場のスタッフには、「自由民権運動に関して研究するな」と指示を出していたというのです。(そのスタッフたちは、高知県出身ではありますが、他都道府県の大学で研究された後に帰郷し、その知識を地元にフィードバックしてくださっていました)
 そのあげく、高知市が委託していた記念館側は、「言うことをおとなしく聴かない」女性スタッフたちを切り捨てようとしました。そもそも、契約が「1年ごと」というパート扱いであったため、裁判で彼女たちは敗訴し、再び雇われることはありませんでした。しかし、彼女たちがあそこで働く意志をもっていたのは事実ですし、僕のような利用者側としても、質問して「さあ...」と言われるよりは、目の色を輝かせて説明してくれたり、参考文献を教えてくれたりする、そんなスタッフたちがいる環境の方が望ましいこと自明のことです。(べたな話、時給かわんないんだから)

旧日記(つらづら草)より転載